20年前のAmazonレビュー

ちょっとした調べものがあってAmazonで参考書籍を探していた。ある古い本が検索条件に合致したので、購入の参考までにレビュー欄を眺めていた。

あるレビューの日付を見たら、なんと2002年の投稿だった。 20年以上前。古文書を発掘したような感覚になりテンションが上がる。書いた人、今なにしてるんだろう。

インターネットはすでに歴史ある空間になっていて、近過去の文化遺産がそこかしこにある。洋食屋によく掲げられている「Since~」は今こそネット上でも使うべきだ。個人サイトに「Since 1999」なんて書かれていたらそれだけでうっとりしませんか。

ただ、オフライン世界の物象と違ってネット上にあるものたちの姿は経年劣化しない。どれだけ昔のものであっても、つい今しがた誰かによって生成されたように錯覚してしまう。さきほどのAmazonのレビューも、日付を見るまで20年前のものだとは気付かなかった。

ごく一時の人間のふるまいが、テキストや写真や動画としてインターネット空間に残り続ける。画面がロードされるたびにまったく同じ姿で現れる。幽霊であり同時に不老不死でもある。それが無尽蔵に、そこらじゅうに「いる」。現にわたしだってその当事者で、8年前にSoundcloudにアップした音源も、15年前にFlickrにアップした旅先の写真も、20年前にmixiに書いたスリリングな文章も、いまだにそのときと一切変わらない姿で残っているはずだ。

こういったことを考えるとき、永遠の命をもつ情報の木だけで構成された深い森が頭に浮かぶ。その森は拡大しつづける。森の内側に進むと人は一切いなくなるのに、ずっと人の声がしている。