ChatGPT氏との通訳コント
このサイトを作るなかで、コーディングはChatGPTの助けを借りている。というか頼りっきりだ。わたしにとってはもうほとんどドラえもんのような存在になってしまっている。
わたしのざっくりとしたオーダーに対し正確なコードを出力して返してくれるし、コード内のどこが何の役割なのか解説もしてくれる。返してきた答えに不明点があるときは「ごめん、そもそもこのxxxは何だっけ」と聞けば舌打ちとかしないで親切に教えてくれる。こういった「そもそも」を何重にも深掘りして聞いていくことができるし、一度聞いたことを何度聞いても教えてくれる。
ちなみにChatGPTは回答を丁寧語で返すのがデフォルトだが、それだと何度もやりとりしているとこちらが気疲れしてしまうので、設定をカスタマイズして「〜だよ」「〜なんだ」といったフランクな口調で話してもらうようにしている。このほうが友人感があっていい。
ただ、このプロセスをなんかいびつだなとも思う。
コーディングはわたしが頭に描いた画面の見た目や挙動をコンピュータに再現してもらうために、機械用の言葉にするプロセスだ。コーディングのエキスパートではないわたしはChatGPT氏の力を借りている。氏はわたしのオーダーをコードのかたちで出力してくれる。わたしはその出力されたコードを写経し、ウェブサイトにする。
しかしあらためて考えてみるとChatGPTは機械なので、そのコミュニケーションはだいぶ回りくどいことになっている。
たとえるならこんなだ。わたしには外国人(仮にイタリア人とする)と話さなくてはならない用事がある。わたしはバイリンガルのアシスタントを雇う。わたしはアシスタントに「〇〇〇〇と伝えたいんだけど、これはイタリア語だとなんと言うかな」とたずねる。アシスタントは「それは△△△△と言うよ」と教えてくれる。わたしはアシスタントに感謝し、たどたどしいイタリア語で相手に話しかける。
よく考えなくてもこれは「いや、アシスタントが通訳になって話せよ!」という状態だ。コントみたいだ。
おそらくこのあたりのいびつさはだんだん洗練されていくんだろうな。あらゆる場面において。現状のこうしたがちゃがちゃしたいびつなコミュニケーションも、テクノロジーと格闘しながらその手触りを味わっているようで楽しい。