歌がよくわからなくなった日
7月のある日、歌というものが急によくわからなくなった。
ラジオから流れてきたJ-POPを聞くともなく聞いていたときだった。
歌ってなんだ。言葉にメロディを付けて大きな声で発する行為だ。
なんで人類は長年にわたってそんな奇妙な取り組みをしているのか。考えてみると謎で、怖くなった。
特にAメロ/Bメロ/サビみたいなフォーマットがくっきりした歌であるほど奇妙さを強く感じた。
そういえばミュージカルが昔からちょっと苦手だった。 それは会話を歌でやる違和感がどうしても拭えないからだった。 さきほどラジオのJ-POPに抱いた違和感もミュージカルのやつと同じ類のものだと気づいた。
しかしなぜ今になってそんな反応がわたしに起こったのだろう。
世の中に歌が多すぎるのかもしれない。
あまりにたくさんあって、どこに行こうがなんらかの歌が流れてくるから、供給過多になっているのかもしれない。
それによって引き起こされる、いわば聴覚のゲシュタルト崩壊だ。
いっそ歌詞だけでいいよ、とも思う。それかインストでいいよ、とも。歌詞とメロディがあってそれが1番2番とくると、もうお腹いっぱいになってしまうのだ。
いや待て。
単に加齢による感受性の鈍化ではないだろうか。
わたしがローティーンのころ、居間のテレビで歌番組を見ていたらたまたま通りかかった父親が「最近の歌はよくわかんねえな」と、一切口にする必要がないぼやきを吐き捨てていった。今の私もあのときの父親と同じなのではないか。現代の中学生にとってはわたしがラジオで耳にしたあの曲は一生の宝物になるのではないか。きっとなるんだろう。
危なかった。もっともらしい理由をつけて、未知のものを未知のままで味わう機会を失うところだった。これが習慣化して人は老いて、煙たがられていくのだろうか。
わからなくなったのなら、わからないなりに浴びてみればそれでいいだけなのに。
ちなみに歌がよくわからなくなったのはこの一日だけで、寝て起きたらもう平気になっていた。 それでもラストのサビで半音上に転調するとか、サビの寸前でブレイクを挟むとか、そういった定番の進行は今もちょっとだけ苦手だ。