夜警
先日、町内会の夜警に参加した。
夜警というのはいわゆるパトロールで、防犯のための施策として担当者が町内の見回りをおこなう。わたしは今年はじめて参加したが、毎年秋にやる恒例行事のようだ。
夜8時に公民館前に集合。この日の担当者はわたしを含め3名だった。リーダーはおそらく70近いであろう地域の大先輩の男性だった。装備として、交通整理でおじさんがよく持っている赤く光る棒と、拍子木を手渡された。拍子木とは「火の用心」と言いながらカンカンと鳴らすことでおなじみの、あの一対の角棒である。まさか人生において自分が持つ日が巡って来るとは思っていなかった。
出発すると、街の風景が普段とはまったく違って見えた。そのことにとても驚いた。
例えるのが難しいが、徒歩でしか眺めたことがない街を車に乗って通るといつもと風景の感触が違う、あれに似ている。
リーダーが拍子木を鳴らす。かあああんと、よく通る音だ。「Amojoさんも拍子木をときどき鳴らしてみようか」と指示を受けた。
この「ときどき」が難しい。
リーダーとタイミングが被らないように鳴らす。
ただ木の棒をぶつけ鳴らしているだけで、リーダーとわたしに会話はない。なのに、そこには確かにコミュニケーションが発生していた。
最初、わたしは気後れした。少し緊張していた。変なタイミングで鳴らしたらリーダーに不快な思いをさせるんじゃないか、と考えてしまった。
初めて会う人と楽器のセッションをするときと同じだ。
しかし不思議なもので、繰り返しているとだんだんと互いのリズムが噛み合ってくる。リーダーとわたし、均等なbpmで分担しているわけじゃない。鳴るタイミングはバラバラだ。なのに10分を過ぎたあたりには、最初よりも確実に意識が通じあっている感覚があった。
民家の横を拍子木を鳴らしながら歩く。夜警じゃなければ不審者だ。不審者への対抗措置としての夜警なのにな、と思うとおかしかった。
夜警は30分ほどで終わった。始まるまでは億劫だったし少し怖かったけど、楽しかった。リーダーももう一名の参加者の方も終始優しく、町の歴史やおすすめの公園などについて教えてくれた(ありがとうございました)。
思えば、近年は仕事とは別のコミュニティに属することがなかった。
生活の中に(仕事も含む)いくつかの世界があってそれを行き来できるというのはいいものだ。
行き来というか重なり合ってるんだけど、うん、やっぱり行き来という言葉がしっくりくる。別の世界だ。
帰宅し、夕食を食べ風呂に入った。
一日をふりかえる。日中は仕事をきりきりとやった。夜警に参加した。家で生活をした。それぞれが別の世界。なにか豊かさを感じた。