音楽を聴きに行く部屋
目を閉じて、実家の2階にあったわたしの部屋を思い浮かべます。4畳ほどのごく小さな部屋です。ただし時代は2025年現在ではありません。1990年代末期のその部屋を、丁寧に想像します。
PanasonicのCDラジカセが枕元に置かれています。古い、塗装が剥げかけた緑色の3段カラーボックスの上に、ウイスキーの空瓶に生けられたポトスがあります。外は静かな夜です。山に面しているので、ほとんど灯りもありません。窓を開けると、わずかに虫の声が聞こえます。夜の匂い(ほかに表現できる言葉がない)がします。床にはギター雑誌がいくつか転がっています。「BANDやろうぜ」「GIGS」「Go Go Guitar」などです。家にはわたし以外誰もいないようです。私は2025年から持ってきたiPhoneとBluetoothレシーバーをポケットから出し、フェルナンデスの黒いギターアンプにケーブルで繋ぎます。そしてアンプの電源を入れ、ボリュームを少しずつ上げます。音楽を聴くのです。
2025年のわたしは、以前のようには音楽を楽しめなくなっていました。なにを聴いても、砂を食べているように空虚でした。それは音楽のせいではなく、わたしが変わったためでした。そしてもう一度、音楽にずぶずぶと浸りたいと考えていました。だから環境の側を変えることにしたのです。環境とはわたしの身体の外にある物理的な世界だけではありません。想像の中にも、わたしの環境があります。
この部屋でなら、わたしはまた音楽の魔法にさらわれることができそうです。喉が渇いたら家の前の自動販売機でレモンスカッシュを買います。部屋の電気をつけていれば、わたしがいると知った友達が夜道を歩いて遊びに来てくれるかもしれません。
今夜はGrouperの「Dragging a Dead Deer Up a Hill」を聴いています。数日前にChatGPTに教えてもらったアルバムです。